1975年(昭和50年)7月に地元の小学生らが「石碑に顔が浮かび上がっている」という噂が広がりやがてメディアも報道するようになった。
噂が広がり、週刊雑誌やテレビなど各メディアでも大きく取り上げられるようになり、一時は全国から見物客が押し掛け、大渋滞を引き起こしたりするほどだったのだという。
見る人によって「平将門様の亡霊」「亡くなった祖父の姿」「白い着物を着た女性と子供」「石碑の下の方には猫がいる」などと様々の様だ。
正式名称は「成田不動明王霊石碑」という石碑。
茨城県守谷市高野1366