霊園の一角にあるこの囚人墓地は、樺戸集治監1881年(明治14年)の開監から、1919年(大正8年)の廃監までの39年間で10,46名もの囚人がが獄死し、1,022名の無縁仏が眠っている。
そういった曰くがある為か心霊スポットとして噂がある様だ。
収容されていた囚人の中には、明治政府にとって都合の悪い人物なども収容されていたという。
1,0461名もの囚人の死因については、心臓麻痺804人、衰弱60人、看守による斬殺41人、作業中事故33人となっている。
極寒の中暖房などは使用禁止されており、薄い囚人服と毛布のみとなっていたため心臓麻痺で亡くなる方が多かったという。
北海道樺戸郡月形町知来乙(字)1319−1