いつの頃なのかは分からないが、トイレで少女が自殺か殺されたかで死亡した。そのトイレでは何者かの気配がするという。
校舎は取り壊されているが古い井戸には河童が出るという言い伝えも有るようだ。
桐生市立梅田北小学校
1874年(明治7年)11月「山地学校」として開校
1875年(明治8年)6月、廃止
1877年(明治10年)11月、再設置
1885年(明治18年)6月、山田第八小学校(現:桐生市立梅田南小学校)の山地分校となる。
1886年(明治19年)4月、「山田郡第十四北尋常小学校」と改称する。
1954年(明治19年)4月、梅田村が桐生市へ編入合併した事により「桐生市立梅田北小学校」に変更。
1967年(昭和42年)4月 閉校。児童らは「桐生市立梅田南小学校」へ編入した
その後「梅北山の家」という改名し、市の宿泊訓練施設として使われていた。
出典:Wikipedia
群馬県桐生市梅田町
群馬県桐生市梅田町5丁目333