タチソ地下壕跡

強制労働により働かせられていた労働者が落盤事故により何人も死亡したと言われており、その霊がいまだに彷徨っているという噂が有るようだ。

写真に兵隊の霊が写りこんだという噂や、後ろにずっと兵隊の霊が憑いてきたという体験をした人も居るようだ。

タチソ地下壕跡の基本情報

1944年(昭和19年)11月より工事が始まり、1945年(昭和20年)には完成のめどが立ち8月20日から使用する予定だったが、8月15日に終戦を迎え稼働することなくそのまま放置された。

地下壕は、太平洋戦争中に大阪城内にあった戦闘指揮所としての利用と、戦闘機「飛燕」のエンジンを製造予定だったという。

「高槻(かつき)」「地下(か)」「倉庫(うこ)」の頭文字をとって「チタソ」という暗号で呼ばれていた地下壕。

大阪府高槻市大字成合

地域 : 近畿 | 大阪府
キーワード:

閲覧数:347 ビュー
コメント:2件

投稿日:
更新日:

著者: 管理人

2 thoughts on “タチソ地下壕跡

    1. 匿名

      橋の横から行ける道がありますよ!YouTubeとかで行き方載せられてます。

      返信

コメントをどうぞ

体験談や聞いた話、噂、感想、、写真、追加情報などお気軽にコメントを残してください。
*誹謗中傷など、誰かが見て不愉快になる内容は削除致します。