タチソ地下壕跡

強制労働により働かせられていた労働者が落盤事故により何人も死亡したと言われており、その霊がいまだに彷徨っているという噂が有るようだ。

写真に兵隊の霊が写りこんだという噂や、後ろにずっと兵隊の霊が憑いてきたという体験をした人も居るようだ。

タチソ地下壕跡の基本情報

1944年(昭和19年)11月より工事が始まり、1945年(昭和20年)には完成のめどが立ち8月20日から使用する予定だったが、8月15日に終戦を迎え稼働することなくそのまま放置された。

地下壕は、太平洋戦争中に大阪城内にあった戦闘指揮所としての利用と、戦闘機「飛燕」のエンジンを製造予定だったという。

「高槻(かつき)」「地下(か)」「倉庫(うこ)」の頭文字をとって「チタソ」という暗号で呼ばれていた地下壕。

大阪府高槻市大字成合