不老洞(須佐トンネル)

第二次世界大戦の終わり頃の1945年に起きた佐世保大空襲で大勢の人がこのトンネルに逃げ込んだが爆風などで大勢が亡くなったという。

トンネルの入り口に兵隊さんの霊が立っているという事があるそうだ。地元では知られた心霊スポットみたいだ。

佐世保大空襲

1945年(昭和20年)6月28日午後11時50分から翌29日午前2時頃までに行われた空襲により、民間人を中心に1,242名が犠牲になった

第二次世界大戦

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

長崎県佐世保市祇園町

  長崎県佐世保市祇園町6−23 

2 thoughts on “不老洞(須佐トンネル)

  1. プータロー

    トンネルの上部に名称を張り付けてありますが
    不差洞じゃ~なくて「不老洞」なのでは?

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