白い着物姿の女性の霊が出るという噂が有るようだ。霊感が無い人でも異様な雰囲気を感じる人も居るようだ。
そして、このお寺には「駒姫伝説」と言うのも残されている。
駒姫伝説
最上義光の娘である15歳の駒が豊臣秀次の側室となり、秀次が秀吉に濡れ衣を着せられて自殺すると、側室である駒も三条河原で処断されてしまう。
駒の悲報を聞いた義光は寺院建設に勤しむようになった。山形の市街地に寺が密集しているのは、その名残だという。
関ヶ原の戦い以降、衰退する豊臣家に対して最上家は57万石の大大名に成り上がっているため、駒の呪いと言われることもある。
駒姫(こまひめ)、1581年(天正7年)~ 1595年9月5日(文禄4年8月2日)は、安土桃山時代の女性で別名は、「伊万(いま)」
山形県山形市緑町3丁目7−67