墓地の一部を整地した場所に「スーパー玉出 今里店」が有る事から、買い物客に紛れて店内を普通にうろついている女性の霊が現れるそうです。女性の霊は店員や客と様々な人が遭遇していると言われています。
この女性の幽霊は墓地を移動した人の幽霊なのか、それとも墓地のどこかに埋葬された人の幽霊か、それともどこからかやってきた霊なのかは分かっていないが、ここにとどまり何度も出る地縛霊のようです。
すぐ近くに大阪市設 鶴橋霊園があるため、隣接・食い込む形で建っている事から「念が溜まりやすい場所」とも言われているようです。
大阪府大阪市にある「スーパー玉出 今里店」が葬儀場の跡地に建設されたという噂が有るが元々は墓地のようです。火葬場「鶴橋斎場」が在ったのは道路を挟んだ向かい辺りのようです。
もしかすると、向かいの火葬場が在った場所でも何か起きているかもしれません。
大阪市の資料では、鶴橋霊園は「鶴橋」「生野区中川西1丁目18」として記録されています。2017年(平成29年)時点の面積は2,519㎡でした。その後、2025年(令和7年)時点の公有財産資料では、2,372.60㎡となっています。
つまり、この場所では、スーパー玉出ができる以前から、墓地を中心とした土地利用が存在していたことは確実です。
スーパー玉出 今里店の基本情報
24時間営業のディスカウントスーパーマーケットです。黄色と赤のネオン看板や「1円セール」などの特売で知られる大阪独自のスーパーマーケットチェーンの店舗で、地域住民の日々の生活を支える買い出しスポットとして利用されています。
今里駅からは少し離れており、周辺は鶴橋・桃谷方面にも近い地域です。駅からの距離は資料によって異なりますが、今里駅から徒歩約9~13分程度で、大阪シティバス「中川西公園前」バス停から徒歩約1分程度です。
大阪市設 鶴橋霊園(旧称・鶴橋墓地)の基本情報
1925年(大正14年)4月1日に大阪市の「第二次市域拡張」に伴い、旧東成郡鶴橋町などの周辺町村が大阪市に編入されました。 この際、各町村が管理・所有していた地域墓地や共同墓地が大阪市へ寄附・移管されたため、行政分類上「大阪市設霊園(旧町村移管霊園)」として位置づけられることになりました。
地域の墓地
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大阪市の市域拡張
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大阪市が墓地を引き継ぐ
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現在の「大阪市設鶴橋霊園」
という経緯です。
第二次世界大戦後の高度経済成長期を経て、生野区一帯は住宅地や町工場が密集する市街地へと急激に変貌を遂げました。大阪市の墓地行政全体では、明治期に北霊園・南霊園が開設され、昭和初期に瓜破・服部などの公園式霊園が整備されました。
一方、引継霊園の多くは戦前〜戦後の市域拡大や昭和20〜30年代の市有化の過程で市の管理下に入ったものです。鶴橋霊園自体の正確な市有化年は、他の霊園(例:昭和27年や29年に複数の霊園が市有化された記録)ほど明確に文書化されていませんが、地域に根ざした共同墓地として長く利用されてきた経緯があります。
また、生野区中川・鶴橋エリアは多様な文化的背景を持つ人々が暮らしてきた地域でもあるため、宗教・宗派を問わず地域の人々に広く親しまれ、利用されています。
鶴橋斎場
創設当初の名称は「太子火葬場」
ここが面白いところです。
現在知られている名称は「鶴橋斎場」ですが、創設当初は、「太子火葬場」と呼ばれていました。大正末~昭和初期の大阪市域を復元した地図にも、「太子火葬場」という名称が記載されています。
したがって「太子火葬場」→「鶴橋火葬場」→「鶴橋斎場」という名称の変化があったと考えられます。
ただし、いつ正式に太子火葬場から鶴橋火葬場へ名称変更されたかについては、今回調べた資料では確定できませんでした。
1926年(大正15年)4月に創設されました。「太子火葬場」として地図に登場。
昭和期「鶴橋火葬場・鶴橋斎場」として存続
1946年(昭和46年)古地図にも「太子火葬場」が確認できる
2000年(平成12年)1月、老朽化により営業を停止。同年3月15日:大阪市長の廃止許可を受け、正式に廃止。
霊園、斎場、スーパーの関係
① 鶴橋霊園
② 鶴橋斎場
③ スーパー玉出今里店
は、実はすべて中川西1丁目18番地周辺に集中しています。
鶴橋霊園 → 中川西1丁目18
旧鶴橋斎場 → 中川西1丁目18-20
スーパー玉出今里店 → 中川西1丁目18-18
という関係があります。これは偶然というより、この一帯がもともと「墓地・火葬場など葬送に関係する土地利用が集中していた地域」だったことを示しています。
「現在のスーパー玉出のすぐ隣に、かつて鶴橋火葬場が存在し、その周辺には鶴橋霊園も存在していた」というところまでです。
大阪府大阪市生野区中川西1丁目18−18
参考
