「井戸公園の赤い橋」とは、井戸公園と竜王山の間に在る橋の事で、公園から橋を渡ると戦国時代に建てられた笠岡山城跡があります。
夜に笠岡山城跡から井戸公園へ向かって赤い橋を渡っていると背後から何者かが近づいてくる(何者かが付いてくる)気配がしたり、橋渡っていると欄干を叩くような「コン、コン・・・」という乾いた音が聞こえて来るそうです。
公園内の「井戸公園トイレ」に近づくと強い圧迫感や何者かに襲われそうな気配がするとも言われています。
谷は小さめですが断崖絶壁で、転落の危険性があります。橋に照明がないため夜は暗く、物理的な危険も伴います。
怪談や都市伝説において、神社仏閣の「朱塗りの橋」や「赤い橋」は「異界との境界」として心霊現象の象徴になりやすい傾向があります。
井戸公園の基本情報
江戸時代、享保の大飢饉の際にサツマイモの栽培を普及させ、多くの民の命を救ったとされる名代官・井戸平左衛門を称えて作られた公園です。
公園のすぐ近くにある「威徳寺」には井戸平左衛門のお墓があり、現在も偉人として語り継がれいます。
春には約200本の桜が咲き誇る笠岡市内の花見の名所として親しまれています。
井戸 平左衛門
1672年(寛文12年)~ 1733年(享保18年)江戸時代
江戸時代中期の幕府代官で、「いも代官」の愛称で現在も親しまれている人物です。享保の大飢饉の際に、領民を救うため数々の救済策を実施したことで知られています。
井戸平左衛門(本名:井戸正明(いど まさあき))は、武蔵国(現在の東京都・埼玉県周辺)に生まれました。もともとは野中家の出身でしたが、井戸家の養子となり幕臣となります。
長年、勘定所で財政や行政の仕事に携わった後、1731年(享保16年)に石見銀山(現在の島根県大田市)の代官に任命されました。その翌年には、備中国笠岡(現在の岡山県笠岡市)の代官も兼任することになります。
「いも代官」と呼ばれた理由
西日本全体で万単位の餓死者が出る絶望的な状況の中、平左衛門は薩摩(鹿児島県)から持ち込まれた、荒れ地でも育つサツマイモ(薩摩芋)に着目します。
種芋を取り寄せて管轄地域(石見や備中)の農民に栽培を奨励し、救荒作物として普及させました。その結果、彼の管内からは餓死者がほぼ出なかったと伝えられています。
彼の死後、命を救われた地域の人々は深く感謝し、島根県の大森(石見銀山周辺)や鳥取県など各地で「芋大明神」として神社に祀りました。また、笠岡市でもその徳を称え、のちに整備されたのが「井戸公園」です。
笠岡山城
岡山県笠岡市笠岡にある城跡で、「笠岡竜王山城跡」とも呼ばれます。井戸公園の赤い橋を渡った先に広がる竜王山一帯に位置し、戦国時代に関連する山城の遺構です。
笠岡山城の築城時期ははっきりしていませんが、南北朝時代から室町時代には存在していたと考えられています。
岡山県笠岡市笠岡
