1976年(昭和51年)に幼稚園の行事で訪れた聡ちゃんが園内にある沼に落ちて溺死した。両親は哀れみ供養のために「さとしちゃん像」と呼ばれる供養碑が建てられていた。
その後、夜な夜なさとしちゃん像が動き出して走り回っているという噂が広がっていった。そんな噂から肝試しに訪れる人も増え、心無い若者が悪ふざけで首を折り沼に捨てられるという。それから今度は折られた首を捜す子供の霊や首の無い子供が走り回る姿が目撃されるようになったのだという。
その後さらに台座に「さとしちゃんに贈る言葉」という石板があったが文字を読むと呪われるという噂が広がりまた荒らされないようにと管理者によって塗りつぶされてしまったという。
そして、銅像やお墓に破壊行為した人の中には呪われ悲惨な死に方をした人が居ると言われている。
こういった悪戯は最初のうちは両親が修復を行っていたが心無い人たちが何回も何回も荒らしたり、破壊行為によっていつしかそのままになっていったという。
また、この園内では焼身自殺もあったという噂もあるようだ。
さとしちゃんに贈る言葉
さとしくん ぼくたちのこえきこえるかい さとしくんはにこやかなもほとけさまのところにいるんだよ こんどまたおすなばであそぼうね
石碑裏に刻まれた言葉
善き子は
神の預かりものと
人は言うれども
聡よ
君は永遠に
我が子なり
昭和五十一年
七月吉日建之
緑ヶ丘霊園の基本情報
昼間はソメイヨシノを中心に約400本あり桜の名所として有名な場所でもあり、地元では津田山霊園とも呼ばれている。
藤子・F・不二雄(藤本 弘)さんのお墓が有る事でもしられている。
神奈川県川崎市 高津区下作延1241