かつて峠が走り屋の集まる場所で、スピードの出し過ぎによる事故が多かったため、首なしライダーを見た人や、血まみれのライダーが峠道を走っているのを見た、首のない白バイ隊員を見た人も居るそうです。
峠を走っていると後ろから徐々に追い付いてくる車が有り、だいぶ近づいてきた時に良く見ると車内には誰も乗っていなかったそうだ。怖くなってスピードを上げて逃げていると後ろに居たはずの車がいつの間にか消えていたそうです。
カーブに差し掛かりカーブミラーを見てみるおじいさん(またはおばさん)が一瞬写り込み追いかけてくるという噂もあるようです。
以前、大坂峠を開通させるにあたり、多数の作業員が亡くなったと言われており、道路わきには無縁仏や地蔵尊が多数点在しています。この地蔵尊を数えると行きと帰りで数が合わないという話もあります。
山頂付近の「あせびの路」という脇道で一家心中があった、という噂も一部であります。
峠道や関連工事で亡くなった作業員の霊が関係している、という説が強いです。道路脇に無縁仏や地蔵が置かれている点が根拠に挙げられます。
2018年には、ネット上の地元談として、「香川と徳島に跨る大坂峠」「首なしライダー」「自殺の名所」「昔死体遺棄があった」という話も確認できます。
2015年には『中国・四国怨念地図』に「首のない白バイ隊員が出没」という話が話題になって居ます
2010年代半ばには、すでに大坂峠=心霊スポットという認識がネット上で定着していたようです。
風俗店に勤める女性の遺体を山中に遺棄
2007年(平成19年)2人は11月14日夜、女性の遺体を徳島県鳴門市の大坂峠付近の山中に遺棄した疑い。
香川県東かがわ市在住の風俗店に勤める31歳の女性の遺体が徳島県鳴門市内の山中で見つかった事件で、香川県警は26日、遺体を遺棄したとして、同店の経営者で東かがわ市引田在住の31歳の容疑者の女性とと、夫での38歳を死体遺棄容疑で逮捕した。
県警は同日朝、2人の供述に基づき、香川、徳島県境の山中を捜索、この女性とみられる遺体を発見した。
県警は、2人から事情を聞いていたが、恵美容疑者が今月26日未明になって同署に出頭し、「車内で女性と口論となり、首を絞めて殺した。夫も一緒だった」と認めたという。
首無しライダー
峠などで噂される心霊現象で、夜中に峠道や見通しの悪い道路を走っていると、凄まじいスピードで追い抜いていくバイクがいる。ふと見ると、そのライダーにはヘルメットから上の頭部が無いという。
話の始まりはバイクで走行中になぜか道に張られたワイヤー(ピアノ線)に首が引っ掛かり斬首して死亡してしまう。または、スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず、道路脇のガードレール(あるいは標識の支柱など)に激突。その際、首が鋭利なエッジに首が引っかかって切断されてしまう。
その事故以降にその道を走行していると後ろからバイクが追いかけてきてよく見ると首の無いライダーが乗っているというもの。
さらに首無しライダーには様々なバリエーションが有ります。
- 片手でハンドルを握り、もう片方の腕で自分の生首(またはヘルメット)を小脇に抱えて走っている。
- 追い抜かれた後に必死に追いかけようとしても、次のカーブやトンネルに入った瞬間にテールランプが消え姿も消滅する。
- 道路を猛スピードで走り回り、自分の首を探している。
- 道にワイヤー(ピアノ線)を張った犯人を探している。
- 横に並ばれると事故に遭う。
「首がない者が乗り物に乗って現れる」という怪談の構造は、日本独自のものではありません。ヨーロッパの伝承(アイルランドのデュラハンなど)や、アメリカの有名な怪談『スリーピー・ホロウの伝説』には、「首なし騎士(Headless Horseman)」が登場します。
かつては「馬」に乗っていた首なしの怪異が、昭和の日本に輸入され、当時の世相(バイクブームや暴走族の社会問題)と融合した結果、馬から「バイク」へと乗り換えてアップデートされたのが「首なしライダー」だという見方もされています。
大坂峠の基本情報
徳島県鳴門市北灘町碁浦と香川県東かがわ市坂元の県境に位置する峠で、標高270m(資料により240mや260m前後と差がある場合もあります)。大坂越とも言われている。
徳島県側(板野町)にはあせび公園があり、展望台から瀬戸内海の島々や播磨灘、東かがわ方面の景色が望めます。香川県側の展望台からは引田の町並みや海岸、小豆島、晴れた日には本州まで見える絶景スポットです。
パラグライダーのフライトエリアとしても知られ、夕暮れ時の水田に映る茜空は写真愛好家に人気です。
3世代の道
大坂峠で非常に興味深いのが、時代の違う道路が複数残っていることです。文化庁の「歴史の道百選」の資料では、大坂峠越について大きくわけると、江戸時代以前の古道、1875年(明治8年)の旧道、1921年(大正10年)の新道という変遷が確認できます。
古道は約600m、明治期の旧道は約2.2kmとされ、旧道には石畳や路肩の石などが残っています。
普通の峠では古道が廃道になった後、新しい道路に完全に置き換えられてしまうことが多いのですが、大坂峠では、古道 → 明治の道路 → 大正の道路 → 現代の県道という変化を確認することが出来ます。
源義経
1185年(元暦2年)、屋島の平家を攻撃するため、義経軍が阿波へ上陸しました。そして阿波から讃岐へ向かう際に、この大坂峠を越えたと伝えられています。
平家物語
「阿波と讃岐とのさかゐなる大坂ごえ」という趣旨の記述があり、義経軍が夜通し大坂越を進んだことが描かれています。
香川県立図書館の資料では、義経軍は阿波へ上陸した後、案内人に導かれて山道を進み、夜通し大坂峠を越えて翌朝に引田へ到着したとされています。
香川県東かがわ市坂元 – 徳島県鳴門市北灘町碁浦碁石谷
参考資料


一回通った事はあるけどただの峠だよ