約200年前のおはんが池は底なし沼でした。この池の近くに住む「おはん」という若い奉公人の娘が、この池の底で今も眠りについています。
おはんの会・明日会・藤太郎総業有限会社はじめ多数のご賛同を得て平成20年にこの慰霊碑を建立しました。皆様のお賽銭はすべて記録して池の亀や魚の餌代に使わせて頂いています。
当時、「おはん」はお歯黒に使う五倍子(ふし)をこの池に落とし、それを拾おうとしたところ誤って池に落ちてしまった。
村人は一生懸命に探したが池の底が深く沈んだためかとうとう見つからなかった。そして、それ以来、この池を「おはんの池」「おはんが池」と呼ぶようになったと云われる。
千葉県船橋市田喜野井6丁目2−17