ここを訪れた小学生の少年がゾロゾロ歩く白い服を着た集団と遭遇したそうだ。それから宗教関係の集まりかと思い興味本位で後をつけたところ崖の向こうに消えた。
消えた場所に行ってみると、崖下にはなんの跡形もなかったと言う。この話が広がり心霊スポットと囁かれるようになったそうだ。
撫養城の基本情報
築城は、古くは小笠原氏の居城と伝えられるが、はっきりとはわかっていない。その後三好氏の配下の四宮氏が城主となった。
1582年(天正10年)、長宗我部元親が阿波国へ侵入し、撫養城を長宗我部元親の配下である真下飛騨守が守備する。
1585年(天正13年)、四国征伐により蜂須賀家政が阿波国の新領主となり、徳島城の支城を9城置き(阿波九城)、益田正忠を撫養城の城番としてこれを守らせた。
1638年(寛永15年)一国一城令により、廃城となった。
「岡崎城」「林崎城」とも言われている。
徳島県鳴門市撫養町林崎北殿町147