旧牟礼橋(どんどん橋)

現在では小川のようなゆるやかな流れだが、昔は水量も多く流れも急であった事から「落ちたらまず助からない人食い川」と言われ、身投げ自殺も多かったと言われている。

この辺りでは写真を撮ると大量のオーブが写る事や、土手から這い上がってくるような青白い手首が写る少女の幽霊が出るなどいくつも心霊の噂が有ります。

近隣に住む男性が旧牟礼橋(どんどん橋)に差し掛かった時に、水辺で何かを見つめる少女の姿を見つけた。少女の姿は徐々に周りの景色に溶け込むようにスーッと消えていった。それからというもの少女の姿が夢に現れ続けたという。

三姉妹心中事件

1959年(昭和34年)9月16日
母親の不倫に抗議するために東京都北多摩郡に住む14歳の長女、11歳の次女、7歳の四女の姉妹が玉川上水に身を投げた。そして長女の遺体が発見された場所が、このどんどん橋の下だったと言われています。

5日後に14歳の長女の遺体が見つかり、さらに2日後に次女と四女の遺体も上がった。

この自殺事件は結核で失職した父親と、その父と再婚した後妻の家族だったが、母親は仕事先で男を作り、家庭をかえりみなくなってしまった母に対する抗議の自殺だったと言われています。

長女の服のポケットには遺書があり

お母さんに他の人と別れてくれるように頼みましたが、余計なことをいうな、お前のような子は死んでもかまわないといわれました。

そうなればお父さんにはかわいそうですが、私たちにはもう死を選ぶしかありません。

私たちは死んでいきますからお父さんお母さん仲良くしてください。

とあり、最後に長女と次女の署名があった。

姉妹は元々4人姉妹で三女だけが「玉川上水付近で姉たちとはぐれた」と言い家に帰宅したため。しかし、本当はこの娘ははぐれたのではなく、他の三人と遺書を確実に見つけてもらうための、「報告役」だったのではないかと言われています。

旧牟礼橋(どんどん橋)の基本情報

現在の「牟礼橋」のすぐ横に残されている旧牟礼橋は、大正時代に造られた古いレンガ造りの遺構です。

「どんどん橋」という通称は、もともと以下の理由でついたと言われています。
1、かつての玉川上水は今より水量が多く、橋の下を流れる水の音が「どんどん」と激しく響いていたため。
2、昔の橋は木造や簡易的な構造で、渡るたびに足音が「どんどん」と不気味に響いたため。

橋のたもとには1757年(宝暦7年)に建てられた「石橋建立供養之碑」が有ります。石碑の表面はかなり摩耗していますが、正面に「寳暦七丁丑歳 石橋建立供羪之碑 十一月大吉日」と刻まれているのが読み取れます。

玉川上水に架かる多くの橋がコンクリート製に架け替えられる中、当時の煉瓦造りの姿を留めているのは珍しく、歴史的価値が高いものです。

東京都三鷹市牟礼1丁目7−1

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