公園内に「呪いの木」と呼ばれる木があり、伐採しようとすると必ず怪我人が出るため切れず、触っただけでも祟りや災いが起きると恐れられていました。
この場所には昔は墓地があり、さらに墓地が出来る前には処刑場があったという話しから、この木には処刑された罪人の怨念や浮かばれない墓地の霊が取り憑いていると言われています。
呪いの木と呼ばれていた木(ムクノキ)は2012年(平成24年)初めに積雪により倒れてしまい、一時は切り株が残りやはり祟りを恐れて根を掘り起こして撤去することはしなかったと言われていたが、暫くして撤去されています。(Googleマップのストリートビューで2017年8月にはまだ切り株が有るが202年11月では無くなっている)
また、女性の幽霊が出没するという話もあります。原因は昔この場所に処刑場があって処刑された女がいまだに成仏できずに彷徨っている、墓地の怨念が取り憑いているといった噂も囁かれています。
東篁公園の基本情報
公園のすぐそばを荒川が流れており、かつてこの一帯は武術の稽古場であった「桜の馬場」と呼ばれていました。近隣には、福井藩主ゆかりの「瑞源寺」などの史跡も点在しており、福井の歴史を感じながら散策するのに適したエリアです。
住宅街の中にある落ち着いた公園で、すべり台、ブランコ、鉄棒、ロッキング遊具などが設置され、地元の憩いの場として親しまれています。
公園の場所はもともと「足山中墓地」という小さな火葬炉付きの三昧墓地(火葬・土葬・風葬を行う墓地と火葬場が一体となった施設)があった土地です。
1950年(昭和25年)に墓地が移転した際、石棺が発掘され、それが幕末から明治にかけて活躍したの儒学者・吉田東篁(よしだとうこう)のものと判明したため、公園名が「東篁公園」になりました。
吉田東篁
1808年9月20日(文化5年8月1日)福井藩足軽・吉田金八の子として福井城下に生まれる。
私塾「東篁塾」を開き、鈴木主税・橋本左内・由利公正らを輩出した。ペリー来航時には水戸藩の藤田東湖ら尊皇攘夷派を訪ね、意見を交わす。
1855年(安政2年)、藩主松平春嶽に抜擢され、藩校明道館の助教となる。
1875年(明治8年)5月2日に死去。享年68。
福井県福井市城東2丁目2−9
