灰野集落

存在しない家屋が出現し、そこに入ると神隠しに遭うという噂もあります。朽ちた石垣や建物の跡から、誰かに見られているような感覚に陥ったり、背後から足音が聞こえるといった噂があります。

落の奥にはかつての住民のものと思われる墓地が残されており、そこを訪れた際に「気配を感じる」という声も有るそうです。

灰野集落の基本情報

戦国時代に近くの宮路寺が兵火で焼かれ灰となったことにちなむとされます。江戸時代は東海道の宿場町・御油宿の助郷村で、灰野峠(灰野坂)を越えて往来がありました。

灰野は御油宿から北西の山中に位置していました。宿場に多くの大名行列や旅人が押し寄せ、人足や馬が足りなくなると、周辺の村々がそれを補う「助郷」の役目を負わされました。

険しい山道を越えて宿場まで通い、重い荷物を運ぶ労働は村人にとって非常に過酷な負担だったと伝えられています。しかし、この地理的条件ゆえに、宿場町と密接に関わって村が維持されてきました。

竹藪の中に民家跡の立派な石垣、廃屋、農業用ビニールハウス、廃車などが残っています。円蔵寺(無住の寺)本殿は2015年頃に倒壊。現在は墓地が残り、元住民が定期的に管理・墓参りしています。

灰野峠の古道が残っており、ハイキングや探索ルートとして一部で人気です。

1872年(明治5年)助郷制度が廃止される

1876年(明治9年)に隣の金割村と合併し、金野村となりました(金割+灰野の1文字ずつ)。

1959年に金野豊川線(県道373号)が開通すると、交通の便が良い沿道へ住民が移住。

1970年代に完全に無住となり、かつての生活空間がそのまま森に飲み込まれていったことが、不気味な噂を助長する一因となっています。

助郷(すけごう)

江戸時代に宿場(宿駅)の伝馬や人足が不足した際、幕府の命令で周辺の村々(助郷村)に人馬の提供を強制した課役制度です。参勤交代の増加で宿場の負担が重くなり、恒常化しました。農繁期とも重なる重い負担は、農民による一揆の大きな原因となりました。

愛知県豊川市御津町金野西沢

地域 : 中部地方 | 愛知県
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著者: 管理人

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