長生炭鉱跡

1942年(昭和17年)2月3日に起きた大規模なに落盤事故により183名の犠牲者が出たが未だに遺骨も引き上げられないままかつての坑道内に閉じ込められたままになっている。

落盤事故があった海面あたりで人魂を見たという人や、労働者の暮らしていた家の廃墟が未だに多く残されておりそこでは夜な夜な犠牲になった労働者の霊らしき人影が現れるという。

長生炭鉱跡の基本情報

1914年(大正3年)に開坑し最盛期には約800名の坑夫が働いていた。

1942年(昭和17年)2月3日午前6時頃に落盤、水没事故が発生し183名(うち136名が朝鮮人労働者)が犠牲になった。大量の海水が流れ込み遺体を回収することが出来ないまま閉坑された。

1982年4月、旧長生炭鉱駅の近くに「殉難者の碑(通称:男たちの碑)」が建立された。

山口県宇部市西岐波

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