第二次世界大戦の長崎の原爆が投下されたところから700mの距離にある防空壕で、当時この防空壕を掘っていた教職員や地域の住民のほとんどが亡くなってしまった。
霊感のある方が訪れると、吐き気や頭痛がしたり、気分が悪くなるという。
旧山里国民学校防空壕の基本情報
1932年に建てられた鉄筋コンクリート製の3階建ての旧校舎。1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に原爆が投下され、教職員など3人が即死、1581人いた児童も次々と亡くなり1300人あまりが死亡した。
当時、旧山里国民学校には20以上の防空壕があったという。今でも戦争の悲惨を伝えるために修学旅行でも訪れる学校もあり、綺麗に整備されている。
長崎県長崎市橋口町
長崎県長崎市橋口町20