神社境内の玉垣がある神木で首吊り自殺した者が何人もおり、第二次世界大戦後で20人以上の人が首吊り自殺していると言われている。ここの神木の枝で首吊り自殺を行うと、その枝はなぜか枯死してしてしまう。
そして、新たに枝が伸びてくると再び首吊り自殺が行われるというのがこれが繰り返されている。こういった事から通称「首吊り神社」とも言われるようになったという。
また、ここで写真を撮ろうとするとなぜかピントが合わずボケた写真が撮れたり、ものすごい手振れをしているような写真が撮れるという現象も起きている。
第二次世界大戦
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。
深浦神社の基本情報
神社の東には底なし沼に投身自殺した、宇賀長者の娘、おぬいと乳母、山伏の三体の墓標が在り、夜に左側2基に刃物か自分の切った髪の毛を供えて祈願すると縁切に、右側の山伏の墓1基に通常の供え物をすると縁結びのご利益があると言われている。
高知県高知市長浜6198
