以前この霞野神社に在る井戸の中からお婆さんの遺体が見つかった事が有り、それ以降老婆の霊が出るようになったと言われています。現在は危険な為井戸は塞がれ封印されているようです。
心霊の噂は老婆だけではなく、霞野神社がある一帯は、かつて 1335年(建武2年)に起きた中先代の乱(なかせんれいのらん)の一部で「女影原の合戦」が行われた古戦場跡として知られ、霞野神社の周辺(女影原)がまさにその激戦地だった事から「甲冑を着て疲れ果てた姿の武士が道に立っている」「夜間に軍勢の足音が聞こえる」といった噂があります。
鎌倉時代から南北朝時代にかけて、足利氏や北条氏などが激突した場所であり、多くの戦死者が出た歴史があるため、武士の霊が出るという話につながったようです。
霞野神社の基本情報
「霞野」の由来: 当時、神社の周辺に広がっていた水田一帯が「霞野郷(かすみのごう)」と呼ばれていたことにちなんでいます。
1335年(建武2年)中先代の乱
鎌倉幕府再興を目指す北条時行の軍と、足利尊氏の弟・直義の軍がここで激突しました。
1352年(南朝:正平7年、北朝:観応3年)観応の擾乱
足利尊氏と弟・直義の兄弟対決の際にも戦場となりました。 このため、神社周辺は歴史愛好家や『逃げ上手の若君』などの歴史ファンが訪れる聖地の一つとなっています。
かつてこの地域で養蚕(カイコ飼育)が盛んだった頃は、「養蚕の守護神」として熱心に信仰され、お祭りには境内が人で埋め尽くされるほどの賑わいを見せたと言われています。
この辺りのを「女影」と言われる由来
江戸時代の文献(新編武蔵風土記稿)によると、かつて「せん」という女性が仙女ヶ池(旧・千丈ヶ池)に身を投げ、その後、その池に女の影が映るようになったことから「女影」と呼ばれるようになったという。
この「影」の話が、心霊的な噂のルーツの一つと言われています。
埼玉県日高市女影444
