千本松大橋は、大型船が下を航行できるように水面からの高さが約33メートル(マンションの11階前後に相当)と非常に高く設計されています。 そのため、過去に飛び降り自殺が複数発生しており、それが主な心霊の噂の要因です。
落ち込んでいたり、弱っている時にフェンスに近づくと下に吸い込まれそうな感覚(引っ張られるような感覚)に襲われると言われ、橋から落ちてしまうという話しも有るようです。
橋の近くにある「千本松渡船場」付近では、2009年(平成21年)に発生した「大阪西成女医不審死事件」で遺体が発見されたことが知られています。
この事件では、いまだに犯人は見つかっておらず成仏出来ずに周辺を彷徨っているのではないかと言う話が有り、女性の泣き声が聞こえる、誰もいないのに足音や気配を感じるという噂がが語られることが有るようです。
近くの「津守斎場墓地」が有る事から、千本松大橋で見られる霊は津守斎場墓地から来ているという噂や、夜中に白い服(死に装束)を着た人影が墓地内を歩いている、墓地の近くで写真を撮ると人の顔のようなものが写るというような噂も聞かれます。
千本松大橋は長いループを描きながら上昇するため、自転車や徒歩で渡ると高所感や閉塞感を強く感じます。夜になると周囲に工場や倉庫が多く、人通りも少ないため、不気味に感じやすい場所です。
歩道の転落防止用の金網には、誰が付けたのか「南京錠」がいくつか残されているエリアがあり、これが一部の訪問者に「何かの記念か、あるいは生者への未練や呪いのようなものか」といった憶測を呼ぶことがあるようです。
津守斎場墓地
1905年(明治38年)に開設された、全国的にも珍しい民間企業(創業家)が運営を続けている私営の火葬場です。一般的に火葬場は自治体が運営する公営のものが大半です。地域の自治会・共同体によって管理されている共同墓地(地域のお墓)となっています。
周辺は工業地帯や住宅、公園(南津守さくら公園など)が混在するエリアです。 津守斎場には現在も大きな煙突が残っており、近代化された現代的な公営火葬場とは一線を画す、昭和の面影を色濃く残したノスタルジックな独特の雰囲気を醸し出しています。
市街地の中に煙突のある古い火葬施設と墓地がそのまま残っている光景は、どこか圧倒されるものがあります。
敷地内には地域の人々が大切に祀ってきた「水子地蔵」や「六地蔵」が並んでいます。古くからこの地域に暮らした先祖代々が眠る場所であり「地元の生活や歴史に深く根ざした葬送の地」として大事にされています。
大阪西成女医不審死事件
2009年(平成21年)11月
大阪市西成区で発生した女性医師の変死事件です。亡くなったのは、西成区釜ヶ崎(あいりん地区)の診療所で働いていた内科医の矢島祥子(やじま さちこ)さん(当時34歳)。
矢島さんは夜間や休日も熱心に労働者たちの相談に乗り、私財を投じて困窮者の支援に尽くしていたことから、地域の人々から「さっちゃん先生」「西成のマザー・テレサ」と呼ばれ慕われていました。
2009年(平成21年)11月14日早朝、勤務先の診療所の警備システムを作動させて外に出た後、行方がわからなくなる。
2009年(平成21年)11月16日深夜、木津川の千本松渡船場(千本松大橋の真下)で、釣りをしていた人によって水死体として発見される。
遺体の不審な傷
首には圧迫されたような痕があり、頭頂部には高さ3cmほどの大きな瘤(こぶ)がありました。警察は当初「引き上げ時に地面にぶつかってできた」と説明しましたが、医師である遺族は「血流のある生前にしか大きな瘤はできない(死後についた傷ではない)」と反論。
後に警察も「傷は生存中のもの」と前言を翻しました。また、遺体は死後硬直した状態で、水中で直立するように浮いていました。
不自然に消された指紋
彼女の自転車は、自宅からも遺体発見現場からも遠く離れた別の団地で見つかりましたが、指紋が一切検出されませんでした。
荒らされた形跡と、拭き取られた室内
彼女の自宅マンションの郵便ポストはなぜか破壊されており、部屋の鍵は開いていました。さらに不気味なことに、テレビの裏や本棚、鴨居(かもい)の上など、普通なら溜まっているはずの埃(ほこり)が部屋中きれいに拭き取られており、現場検証で指紋が全く検出されませんでした。
鳴り続けた携帯電話
失踪から遺体発見までの間、家族や関係者が彼女の携帯電話に発信すると、電源は切れておらず呼び出し音が鳴り続けていましたが、誰も出ませんでした(携帯電話はその後、見つかっていません)。
その後
女性が死亡直前に知人に送った手紙等を根拠に、「過労による自死」と判断したが、遺族は「絶対に自殺ではない」として、執念の署名活動や独自の調査を続けました。その結果、事件から3年後の2012年(平成24年)、警察は重い腰を上げて遺族の提出した「殺人・死体遺棄事件」としての告訴状を正式に受理しました。
千本松大橋の基本情報
1973年(昭和48年)竣工で、両端に720度(2重ループ)の螺旋状坂路があり、上空から見ると眼鏡のように見えるのが特徴で、地元では「めがね橋」の愛称や「メガネ橋」という愛称で呼ばれています。
千本松大橋という名前は江戸時代にこの一帯は木津川堤防に多くの松が植えられていたことに由来しています。
車道と歩道があり、徒歩や自転車でも渡れますが、全長約1.2km、高さ約33~36mと長く高いため、夜間は独特の雰囲気があります。
なぜこのような形になったかというと、下を流れる木津川は大型の造船所や工場が上流にあり、3000トン級の大型船が頻繁に航行するため、水面からの高さを約33メートルも確保する必要があったからです。
しかし、橋の高さを上げるために直線的な坂道を作ろうとすると、周囲の住宅地や工場を立ち退かせなければならず、用地が足りません。そこで、限られた敷地で高さを稼ぐために、ぐるぐると回って上るらせん状のループ構造が採用されました。
この橋が完成したのは昭和48年(1973年)のことです。それ以前は、主に大正区の工場地帯へ通勤する人々が「渡し船(千本松渡船)」を利用していました。
橋が架かったことで車での移動は一気に便利になりましたが、徒歩や自転車で渡るとなると、延々と急なループ坂を上り下りしなければならず、かなりの体力と時間がかかります。
そのため、橋が開通した後も「千本松渡船場」は廃止されず、現在も大阪市営の無料の渡し船として現役で運行を続けています。
巨大な近代建築である大橋の真下を、昔ながらの小さな渡し船がのんびりと行き交う光景は、大阪の港湾エリアならではの独特な魅力です。
全長:約1,228m(ループ部分を含む道路延長)
主橋梁部:323.5m
河川:木津川
完成:1973年(昭和48年)
管理者:大阪市
愛称:「めがね橋」
大阪府大阪市大正区南恩加島1丁目11
参考
