1918年(大正7年)に列車脱線事故で4人が死亡した。1950年(昭和25年)には土砂崩れによって鉄道員の宿舎が飲み込まれ50人が亡くなっている。
怒号や叫び声が聞こえたり、地鳴りが突然聞こえてくると噂されている。
旧熊ノ平駅の基本情報
1906年(明治39年)鉄道の駅として設置されたがその後信号場となり1997年(平成9年)廃止された。
近くに殉職者の慰霊碑「母子像」が有り、乳飲み子を抱える若い母親となっている。土砂によって押潰された職員官舎から、生まれて間もない赤ん坊を抱えたまま息絶えていた母親をモチーフにして作製されたと言われている。
群馬県安中市松井田町坂本1673
母子像は「事故の際に助かった人」ではなく「赤子を抱いたまま土砂に埋もれて亡くなった犠牲者」がモデルと聞きました。