太平洋戦争中に急ピッチで進められた地下壕で300名ほどが亡くなったと言われており、過酷な労働で亡くなった作業員の霊が出る噂されている。
現在は「象山地下壕」が一般公開されている。
松代大本営跡地下壕
1944年(昭和19年)太平洋戦争で本土決戦を覚悟した日本国は、岩盤が固く海から遠い長野県松代の地に巨大な地下壕の建設し政府中枢機能移転を試みた。
急ピッチで造られたため労働は過酷を極め多数の犠牲者が出ているが、犠牲者は100~300名ほどと推定され、特定できているのは4名となっている。
最盛期の1945年(昭和20年)4月頃は日本人と朝鮮人1万人が作業に従事し、延べ人数では工事関係12万人、勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人に及んだ。
長野県長野市松代町西条479−11
松代象山地下壕に行きました行ったあとに写真を見たら地下壕の写真だけにたくさんオーブがありました…
高校時代に社会科見学で訪れました。
ガイドさんの話を聞きながら内部を見学したのですが、写真を撮ったときに人の頭部のようなものが映り込みました。両目のあたりが黒く大きな穴となってる頭部です。
ちょうど、その時ガイドさんが
「ここでは朝鮮人労働者が爆発に巻き込まれて亡くなっています。頭部だけが見つかり、爆風で目がなかったそうです。」と。
あまりの気味の悪さにすぐ写真は消してしまいましたが、今も印象が強く残っています。
中学の社会見学的な感じで行きました。大本営に入った瞬間気持ち悪くなりしろいもやのようなものがうえにみえました、そこから吐き気と頭痛に襲われ、渋々見学をしていました。奥の奥に行くと友達の後ろからまた白いモヤが見え、急な腹痛に襲われました。あと、後ろから来ていた先生の背後ら辺に白い人形ぽっいものが見えました。その後の帰りも暗いところなどありました。すごく両サイドから視線のようなものを感じました。大本営の外に出たあとも何かを感じました。
冗談や冷やかしではありません。私の祖父は当時労働者として借り出されていた一人ですが、92歳になった今も健在。あまり詳しく聞いてはいませんが、多数の死者が出たという話は祖父からは1度も聞いたことがないです。ただ、日本中枢機関というか、天皇陛下が避難できるように作ったという話は聞いていますね。
今度その辺について聞いてみます。
追伸 ただ、このために当時学生だったけれど学校を辞めることになったことは聞いているので、かなり過酷だった可能性もあるのではと個人的には思います。