太平洋戦争中に急ピッチで進められた地下壕で300名ほどが亡くなったと言われており、過酷な労働で亡くなった作業員の霊が出る噂されている。
現在は「象山地下壕」が一般公開されている。
松代大本営跡地下壕
1944年(昭和19年)太平洋戦争で本土決戦を覚悟した日本国は、岩盤が固く海から遠い長野県松代の地に巨大な地下壕の建設し政府中枢機能移転を試みた。
急ピッチで造られたため労働は過酷を極め多数の犠牲者が出ているが、犠牲者は100~300名ほどと推定され、特定できているのは4名となっている。
最盛期の1945年(昭和20年)4月頃は日本人と朝鮮人1万人が作業に従事し、延べ人数では工事関係12万人、勤労奉仕隊7万9600人、西松組鹿島組関係15万7000人、朝鮮人労務者25万4000人、合計延べ61万0600人に及んだ。
長野県長野市松代町西条479−11