響橋

響橋が出来た1941年(昭和16年)当時は転落防止の柵が無く、下を行きかう車の車のライトに誘われるように響橋から飛び降りる事故や飛び降り自殺が多発していたそうです。

現在では転落事故防止の為に鉄製の高い柵が取りつかれていますが、ここで亡くなった方たちがあの世に行かずに地縛霊となって霊の溜まり場になっていると言われています。

橋の下で大きな声を出すと響いた音の中に自分とは違う声が聞こえてくる時間が経つにつれて纏わりつくように霊が憑き、体に変な感触や空気が変わったように感じたり吐き気に襲われることもるそうです。

響橋の基本情報

地元では非常に有名なランドマークで、当初はこの辺り一帯が「寺尾」と言われる地域で「寺尾橋」という名前になる予定でしたが、美しいアーチ形状の下を車が通過すると跳ね返り響くように聞こえることから「響橋」と名づけられました。「眼鏡橋」という愛称でも親しまれています。

この橋は、1940年(昭和15年)に開催される予定だった「東京オリンピック」に備えて、第二京浜の国道1号線がこの場所で深い谷を通ることになり、マラソンランナーが急勾配で苦労しないよう、神宮外苑競技場を起終点としたとき響橋までがおよそ21km(往復42km)あるため、この付近を折り返し地点に想定し作られました。

1937年(昭和12年)7月7日から1945年(昭和20年)8月15日まで続いた日中戦争の影響によりオリンピック自体が中止となり、橋だけが1941年(昭和16年)に完成しました。「幻のオリンピックの遺構」とも言える存在です。

構造は鉄筋コンクリートアーチ構で、アーチ高13m、橋長は48m

1941年(昭和16年)3月 竣工
1991年(平成3年)1月 かながわの橋100選に認定
2001年(平成13年) 横浜市歴史的建造物に認定
2016年(平成28年) 土木学会選奨土木遺産に選定

寺尾高札 庚申塔(青面金剛)

橋のたもとには1716年(享保元年)建立の庚申塔が在り、別の場所から移設されたもので、青面金剛(しょうめんこんごう)像や日月(にちげつ)、二鶏(にけい)が刻まれた駒形(こまがた)の珍しい様式を持ち、庚申信仰(健康長寿を願う信仰)の記念碑です。

庚申塔とは?

60日に一度巡ってくる「こうしん」の日に、眠らずに過ごして健康長寿を願う「こうしんまち」という信仰に基づき建てられた石塔です。体内のさんという虫が寿命を縮めると信じられ、それを退治するために眠らずに過ごすというものです。

江戸時代に「庚申講」という講組織が広まり、石塔が多数造立されましたが、明治以降、迷信とされ撤去が進み、一部は親睦団体として講が存続し、その供養塔として庚申塔が残されています。

神奈川県横浜市鶴見区北寺尾1丁目1 東 寺尾 北台 中 台

参考:Wikipedia「響橋」

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