ガダルカナル島・ビルマ方面 戦没者慰霊碑

慰霊碑周辺で亡くなった兵士と思われる軍服を着た兵隊の霊が目撃されたという話しが有るようです。夜中に肝試しで訪れた際に、写真を撮ったら画面いっぱいに攻撃的な赤いオーブが写り込み、恐怖を感じて逃げ出したという話も有ります。

オーブは後からフラッシュの雨反射の可能性を考える人もいますが、当時は相当怖かったそうです。

慰霊碑の周辺や、隣接する 農業用の溜池として作られた百間堤(ひゃっけんづつみ)池のあたりで、誰かに見られているような独特の圧迫感や気配を感じるという話があります。

また、「通るだけで駄目」「気分が悪くなる」といった漠然とした不気味さを指摘する声もあります。

ガダルカナル島・ビルマ方面 戦没者慰霊碑の基本情報

太平洋戦争の激戦地となったガダルカナル島(ソロモン諸島)とビルマ(現ミャンマー)方面で亡くなった多くの兵士が戦死しました。ガダルカナル島は「餓島(がとう)」と呼ばれるほど過酷な戦地で若者が飢えや病で亡くなりました。

遺体の収容や帰還がほとんどできなかった戦後も行方不明に近い状態の人が多く、墓がない、手を合わせる場所がない、戦地に行けなくても祈れる場所をとの思いで作られました。

百間堤霊園の奥、「平和を祈る杜(もり)」または「平和の杜」と呼ばれる静かな森の中にあります。自然豊かな場所で、参道や慰霊碑周辺は緑に囲まれています。

この慰霊碑、単なる歴史的建造物というだけでなく、今もなお遺族や地域の方々の手によって毎年5月頃には、保存会や「全国ソロモン会」のメンバー、地元有志らによって大規模な清掃活動が行われ、世界の平和を願う場となっています。

1973年(昭和48年)ガダルカナル島(ソロモン諸島)戦没者慰霊碑を建立(565名を祀る)。
1977年(昭和52年)ビルマ(現ミャンマー)方面戦没者慰霊碑を建立(3658名を祀る)。
これらを合わせて、現在は合計約4,224名の新潟県出身戦没者の名前が石碑に刻まれています。

太平洋戦争は、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで行われた戦争であり、第二次世界大戦の局面の一つです。

第二次世界大戦

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)

連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。

民間人の被害者数:3800万〜5500万飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万(捕虜としての死者数も含む)。

新潟県長岡市西片貝町

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