沖縄戦に参加した沖縄師範学校の男子学生によって1945年(昭和20年)3月31日に14~16歳の学徒による少年兵部隊で編成された「鉄血勤皇隊」を祀った碑。
「鉄血勤皇隊」は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。
伝令なども、同じ文書を3人に持たし走らせ、そのうち1人だけがたどり着けば良い、そのような任務であった。
ひめゆりの塔は女学生に対し、健児の塔は男学生でこちらも13~19歳の少年たちである。
当時の在学生が戦没学友の冥福を祈って、塔の建立に発起した。
健児の塔の裏手には、健児の学徒が自決した壕がある。この壕に追いつめられ、軍から解散命令を受け、斬り込みに出撃する者、手榴弾で自決する者、米軍の火炎放射を浴びて焼け死ぬなど多くの犠牲者が出たのだという。
中には納骨堂が作られ、火炎放射の後も残っている。
沖縄県糸満市摩文仁506
- 2022年(令和4年)/7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド