古戦場跡地の心霊スポット29 件掲載
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関門海峡 壇ノ浦古戦場
1185年(寿永4年)平家と源氏が最後に戦っ地とされる古戦場跡地で、海の底には戦で亡くなった武士の骨がまだ残されているという話や、武士の怨念が残っており霊となって目撃されることが有るという。
ここで採れる蟹の甲羅は人のにらんだ顔の様な模様をしており、平家の恨みの念で浮き上がった顔ではないかと言われ「平家蟹」と呼ばれるようになったのだと言う。 詳細を見る
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長久手古戦場跡
1584年(天承12年)に豊臣秀吉と徳川家康が激烈な戦いを繰り広げた主戦場跡地で、戦死者は約4000人と中でも池田軍の戦死者が約2500人と言われ池で亡くなった人が多いと言われている。
成仏できていない武将の霊が今でも彷徨っていると噂され、人魂を見たと言う話や、落ち武者の霊、甲冑の音が聞こえたなど、心霊現象は様々囁かれている。
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城山公園
展望台で男性の首吊り自殺があり、その周辺での目撃が多いようだ。また、敷地内のトイレで外国人の死体が遺棄されていたという噂もあったり、アスレチックでも自殺があったという噂もある。
おかっぱ頭の女の子の霊、髪が乱れた白いワンピースの女性の霊などが現れるのだという。
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千本浜の首塚
1580年(天正8年)田軍と小田原の北条軍との「千本浜の合戦」が行われた古戦場跡地にある首塚で、1900年(明治33年)に暴風で倒れた松の木の下から多くの頭蓋骨が発見され、地元の人がこれを集めてここに供養した。
発見された頭蓋骨の多くは10代後半の若者で、頭蓋骨の数と刀傷の深さから戦いの激しさが伺われたと、現地解説板に記載されている。
夜になると首のない若い武者が出るとの噂や火の玉が出ると言われている。
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船上山
「船上山の戦い」というのが起きており、落ち武者の生首を見たという人や、落武者の霊の目撃が多数ある。また、人影を見かけたがスーッと消えていったという体験をした人も居るようだ。
そして「船上山少年自然の家」という施設でも多数落ち武者の霊が目撃されているのだという。
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倶利伽羅古戦場跡地・倶利伽羅峠
1183年6月2日の「倶利伽羅峠の戦い」では戦死した武士の遺体が谷に溢れかえり、川が血で染まるほどの凄まじい戦いが繰り広げられたと言われている。
武士の霊が現れるという話や、甲冑が擦れる音や刀を振る音が聞こえたりするのだという。
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桶狭間古戦場跡
1560年6月12日(永禄3年5月19日)2万5千といわれる大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元に対し、尾張の大名・織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた事でも知られている。
古戦場跡地だけに落武者の霊が目撃される心霊スポットとしても噂されている。
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響ヶ原古戦場
1581年(天正9年)12月26日(旧暦で12月1日)に相良義陽と甲斐宗運が壮絶な戦が有り多くの死者が出た。12月1日の夜にここを通ると、死んでいった兵士たちの勇ましい叫び声や、刀が交わう音や、馬のひづめの音が聞こえて来るという。
この現象は以前から言われえている事で、響ヶ原古戦場の説明文でも書かれている昔からの心霊スポットと言えるだろう。
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姉川古戦場・野村橋
1570年に浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が戦った「姉川の戦い」と言うのが有り、激しい戦いが繰り広げられ戦死者は2500人、負傷者はその3倍とも言われている。
この戦いで姉川は血で真っ赤に染まりその光景から「血原(ちはら)」野村橋は「血川橋(ちかわばし)」とも呼ばれていた。