ラジオなど無いはずなラジオのノイズ音のような音が聞こえてきたという事や、複数の女性たちが話をしているような声が聞こえてきた、霊感がある人がこの場所に行くと、気分が悪くなったりと霊障を受けるという。
遊び半分に肝試しに訪れた人が事故に遭ったということが有り、遊び半分でいくと祟られ事故に遭うまたは、事故に遭って死ぬと言われているようだ。
沖縄陸軍病院南風原壕群20号の基本情報
1945年(昭和20年)3月26日から沖縄戦が始まると数千名の傷病兵が運び込まれたが、医療設備や薬がとぼしいなか満足な治療はできずに、麻酔のないままの手術や手足の切断なども日常的におこなわれました。
沖縄陸軍病院は南部へと撤退することになったが、捕虜となる事をけして許さない陸軍の厳しい軍律で連れて行けない重症患者2,000余名に青酸カリによる自決を強要されるなど、多くが悲惨な最期を向かえた。
沖縄県島尻郡南風原町